藤野純江プロフィール

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オープンセサミ ヒプノセラピスト

藤 野 純 江
Fujino  Sumie
福井県出身 1973年生まれ

前世療法の分野では世界的な権威者である、精神科医のブライアン・L・ワイス博士から直接、プロフェッショナルトレーニングを受け、ワイス・インスティチュートの修了認定書を授与される。
オープンセサミの全てのコースを受講し、米国催眠士協会(NGH)米国催眠療法協会(ABH)の認定ヒプノセラピストである。
国内では、 ”日本学術会議” 所属の「日本催眠学会」の正会員であり、一般社団法人「日本臨床ヒプノセラピスト協会」(JBCH) のヒプノセラピストとしての認定を受け、オープンセサミのセラピストとして、またスクールアシスタントとして活動している。

学校を卒業後、商社、金融機関に経理事務員として16年間勤務する。 その間に彼を支えていくという覚悟で結婚をしたが、思いがけない新たな問題が生じ苦渋の決断で結婚生活にピリオドをうつ。が、その3ヶ月後、その彼を交通事故で亡くしてしまう。
このことは、生きる気力を一気に失わせる大きな出来事となった。

しかし、それを機に自分自身を深く見つめ直すこととなる。

その一環で参加したとあるセミナーで自分の潜在意識と繋がる体験に衝撃を受け、潜在意識を深く知るためにオープンセサミで本格的に学ぶことになる。

 

資格・所属学会等    【資格認定証 画像一覧 ここをクリック ▼】
・米国催眠士協会(NGH:National Guild of Hypnotists)認定セラピスト
・一般社団法人 日本臨床ヒプノセラピスト協会
(JBCH:Japan Board of Clinical Hypnotherapists) 認定セラピスト
・米国催眠療法協会 (ABH:American Board of Hypnotherapy)認定セラピスト

・ワイス・インスティチュート(The Weiss Institute)プロフェッショナルトレーニング修了
・英国オーラソーマ社公認 プラクティショナー(レベル3修了、PPSコース修了)

・日本催眠学会 正会員
・日本認知療法・認知行動療法学会 正会員

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~ 藤野純江のストーリー ~

私は、幼少期の頃から“生と死”についてよく考えていました。

そんな私が33才の時、これまでに感じることのなかった“何ものにも代えがたい”、とても貴重な体験をしたのです。この体験で、私は人生で本当になすべきことがハッキリと分かり、そのなすべきことを後にヒプノセラピーを通して叶えることが出来るようになったのです。

生と死の境目

fujino_1私は1973年6月、現実的で物静かな父親と、社交的でひょうきんな母親との間に長女として生まれました。小さい時から、外で遊ぶことがとても好きな活発な子供でした。

また、家族や親戚が温かく見守ってくれる家庭で育ってきましたが、なぜかいつも“生と死”について考えていたことを思い出します。

これは後にヒプノセラピーで分かったことですが、誕生時に“生と死の境目をさまよって生まれてきた”ことが大きく影響を及ぼしていたようです。そして、そのことがその後の人生にも大きく関係していくのです。

本格的なスピリチュアル体験が突然に

中学2年生の夏休み、突然40度の高熱が1週間ほど続いてしまうことがありました。薬を飲み、点滴等の治療をしても熱は下がらず、詳しい検査をしても原因は全く見つかりませんでした。

日に日に気力も体力も消耗していく中、7日目の夜のことです。時計の針が8時を過ぎた頃、徐々に体に変化が起こり始めました。テレビを見ているのも辛い状態であったため、部屋の電気はつけたまま、テレビから流れてくる音をぼんやり聞きながら目を開けて天井を向いてボーッとしていました。

すると、私の体が横になった状態のままゆっくりと天井に上がっていったのです。

『どうしよう!天井にぶつかる!』と思い部屋の中を見渡すと、電気もテレビもついたままのさっきと変わらぬ状況で、ふと下を見ると、ボーッと目を開けて天井を見つめている私がいました。ここで初めて、私は自分の体から抜けたのだと実感しました。

そう感じ、『これは大変!戻らないといけない!』と思った時に、またゆっくりと自分の体に戻れたのです。

それから間もなく、そこに居るはずのない亡き人との会話が始まりました。その内容は、その方の切なる願い事や、戦争時の出来事について、命の大切さについてで、中学生の私にも分かりやすく話して下さいました。

私は、その人と目の前に正座で向き合い、涙を流しながら二人だけの特別な空間の中でお話しに聴き入っていたことを今でもはっきりと覚えています。その後、母から聞いて初めて知ったのですが、その人は戦死した身内の人であり、実在していた人物だったのです。

この時から、私は人には見えないものが見えるようになり、聞こえないものも聞こえるようになり、自分や家族や私の周りの人達にとって必要なメッセージを必要な時に受け取ることが出来るようになっていました。

ただ、こうなることは私が全く望んでもいないことだったのです。

この体験は、当時ごく普通の14才の私にはあまりにも衝撃的であり、『どうして私にこんなことが起こるのか・・・私が知らなくてもいいと思うことまで分かるのは苦しい・・・こんな自分は嫌!』と自分自身を受け入れられなくなっていたのです。

出会い、そして決心へ

その夜、私の尋常でない様子を目の当たりにした両親はとても動揺し、すぐに親戚に電話をしていました。そして夜11時頃、親戚の知り合いでその道に詳しい1人の僧侶(以下、先生)が自宅に来てくださり、お会いすることになりました。お会いした時、直感で『あぁ、この人は全て分かってくれている、この人なら今の私を助けてくれる』と感じました。

そして、あの理解しがたい不思議な出来事について私はいろんな質問をしたのを覚えています。

感情が高ぶり落ち着かない私に、先生は『これに類似した体験をしたのはあなた1人だけではないから安心なさい。しかし今は軽々しく人に話をしても理解されないことだろう。けれど20年後には必ず生きやすい時代がくる。だからそんな体験をした自分を大切にして、何でもしっかりよく見て、よく聴いて感じるまま生きていきなさい。そして自分が経験したことや感じたことを、その時が来れば必要な人に伝えてあげなさい。そうすることで気持ちが楽になっていく方がたくさんおられます。その時のための大切な経験なのです』と、告げられたのです。

このように言われ、『これで終わりじゃないの?まだこの先も続いていくのか・・・』という不安を抱えつつも、この言葉によって私が背負ってしまった重い荷物を、かなり軽くしていただいたのです。

そう、私の体験した事に耳を傾け共感し受容して下さり、私を説得するでもなく押し付けるでもない。そこに居て、ただ真摯に向き合ってくれる先生のお言葉により素直で純粋な気持ちで受け入れることができ、そのようにしていこうと思えたのでした。

そして、この先20年はこの体験を口外しないと堅く決心したのです。

精神的な苦しみが、また・・・

fujino_2先生のお言葉を受け入れながらも成長するにつれ、予想のつかない体験は徐々に日常化していったのです。

20才を迎えて、当時の彼(数年後亡くなりました)と食事の約束をしたある日の夕暮れのこと。

仕事が終わり、いつも通り私服に着替え会社を出て、迎えに来てくれた彼の車に乗ってしばらく行った時、窓越しに救急車のサイレンが聞こえてきました。それを聞いて私の心臓はこれまでになく速くなり、力が入らず呼吸も苦しい状態になったのでした。そして今にも空に向かって浮いていってしまいそうな感覚になったのです。
それと同時に、『この救急車は病気の祖父を迎えに行くのだ』ということが直感で分かったのです。

私の体の状態は数分たっても治まらず、急きょ予定を変更してもらい、そこから15分程の祖父の家まで送ってもらうことになりました。到着すると、私の直感は的中し、祖父は既に救急車で運ばれた後でした。けれど、その事情を知った瞬間から徐々に私の体は元の状態に戻っていったのです。

それからすぐに病院に向かうと、祖父は酸素マスクを付け集中治療室に入っていましたが、私が到着すると祖父の容体は回復に向かい、命は取りとめ一安心することが出来ました。

聞くところによると不思議なことに、祖父の体の状態は私と同じ状態に陥っていたらしいのです。これは祖父が、仕事帰りに遊びに行く私に自分の容体を知らせてくれ、近くに来てほしいと願ったのだと思いました。

人の体の苦しみを直接受けるような感覚を感じたのは、この時が初めてのことだったので、

『こんなことまで感じ取ってしまうなんて、これからどうしたらいいのだろう・・・』

と、以前にも増して自分を受け入れ難く、精神的な苦しみが増えてしまったのです。

手放す・・・本当の意味での喜びが!

その後もこの類の不思議体験は増えていく一方でした。
そして、年月は流れていき・・・

これまでになかった、更に大きな体験が私の身に起きてきたのです。

33才、まだ肌寒い3月、時間は午前0時を過ぎたころのことです。その日は頭の中でいろんなことが駆け巡り、眠ろうとしてもなかなか眠れず壁にもたれながら座っていたのでした。

あの14才の時から19年が経ち、『こんな自分はこれからどうなっていくのだろうか』、『何のために生まれてきたのだろうか』、『私はいったい何者?誰?』と、次々に疑問が襲いかかってきます。

最初は自分で自分を苦しめる感じでしたが、次第にそうではなくなっていきます。すると、そこにもう1人の冷静な自分が出てきて完全に混乱している私に、『本当は何が大切なの?』とシンプルに問い正してきたのです。

その時、この冷静な自分こそが本来の自分なのかもしれないと思ったのです。それから徐々に『あっ!これこそ本当の私だ!』と、心から素直に思えた次の瞬間、今まで持ってきた必要のない想いが、光とともに全身から抜け出し、上の方にフワ~ッと上って広がり消えていきます。

すると心がパァーッと解き放たれていきました。そして『今まで持っていた余計な想いを手放し、あなたに与えられたできることをしていきなさい』というシンプルなメッセージがどこからともなく声で聴こえてきました。私は自然とその言葉に身を任せ、全身から抜け出していく光を見上げていました。そこで手放すことがこんなに心地のよいものだと初めて実体験したのです。
すると今度は何も感じなくなりました。思考が“無”(停止状態)になったのです。

この時にはまだ、実際の“無”という状態は知り得ませんでしたが、今となっても私にとってあの状態はまさに“無の状態”としか表現しようがありません。あらゆる面において気持ちの整理ができていなかった私には、自然とこうならざるを得なかったのだと今では思っています。

無条件の愛、再び”生まれる”至福のとき

その明け方、外は明るくなり目が覚め・・・

起き上がろうとしたその時、突然、再び思考が無になったのです。この時、もちろん体としての感覚はしっかりあります。と、次の瞬間、トンネルのような闇の中に凄い勢いで吸い込まれたのです。そこから走馬灯のように33年間の人生のパノラマ的回想が始まりました。これまでの生き方の誤りや出来なかったことの後悔をこれほど強烈に感じたことはなく、私という小さな存在は大きな衝撃を受けました。同時に体から意識が抜け出した感覚になり、『あぁ、これで自分の命はもう終わってしまうのだ・・・』と悟ったのでした。

そのときです!

これまでに見たことのない眩しい光を感じ、とてつもない幸福感に包まれたまま、上の世界へと昇っていきました。そこは時間と空間の感覚がない、いわゆる魂の世界のような所でした。

ここに居ると、絶対的な安心感、この上ない喜び、体はないのですが全身を包み込まれる温かさを感じ、自然との調和、宇宙との一体感、これらの全てが分かってしまったような、著しく鋭い感覚で存在していました。

この世界はとても自由で、必要であれば誰とでも一瞬で会うことができ、会話をしなくても気持ちが通じ合うのです。ここでもまた、既に亡くなった祖父や祖母、彼にも会うことができました。

実は、下界でもこれまでに同じ感覚で何度か会えていたものですから、『また会えたね!』という温かい気持ちで快く迎えてくれていました。そしてお互いの思いを十分に伝え合い感動に満ち溢れていました。

すると、そのあと『ここでの用が済んだら早く戻りなさい』とみんなが伝えてきます。そこから辺りを見回すと、こうなる寸前までの私の悩みの答えや迷っていたことに対する方向性が、次々と文字で浮き出てきてハッキリと示されていました。

それを見ていただけで、“これで大丈夫、このような体験ばかりの自分自身をもう肯定していい”という無条件の愛に包まれた感じがしました。肉体のない存在となってこのような体験したことにより、これまで私が疑問に思っていたことや分からなかったことを一瞬で分からせてくれました。そして、何も怖れなく執着することもない素直な心を持った本来の自分を、鮮やかな映像で見せてくれたのでした。

その自分は、目がキラキラと輝き生き生きとした柔らかな表情で、伸び伸びと好きなことをして生きている自分でした。

しかし不思議なことに、唯一ある大切な人に関するある1つの疑問の答えだけはありませんでした。

そう、これは知るべきか、知らざるべきかの選択が私に与えられたのです。けれどこの答えを知ってしまったら今度こそ本当に元の体に戻れなくなると瞬時に感じました。すると、どこからか『今は、知らなくていい。その透明な心のまま戻りなさい』という言葉が伝わってきました。

それを聞いて、知るべきときが来たら自然と答えはやってくると確信し、今知ってはならない。これは私にとって、死との境界線なのだとハッキリ理解しました。

そう理解した途端に、また違った場所に移動させられました。

そこはなんと、“生まれたい!”と強く願う魂たちが驚くほどいっぱい集まっているところでした。この時もまだ、私は魂の存在で居て、辺りを見渡すと、ここに居るみんなはそれぞれにあらゆる気持ちがあって、早く生まれていきたいという願いを持っていることが分かります。下の方には下界が見え、そこに自分の産んでくれる母親を見つけ、次々とかけがえのない命が宿っていきます。わかりやすく表現するならば、“我さきに!”という勢いで直接お腹の中あたりに入る感じであり、まるで競争しているかのようでした。この時、ものすごい確率で尊い命が誕生していくのだと知らされました。

そのうち私も、下界に自分の母を見つけます。私の母に生まれたいと願うライバルはたくさんいました。この時の私の思いは、何があっても大丈夫、どんなことがあってもいいから早く生まれたいというワクワクした気持ちを感じていました。

そして、『この母のお腹に絶対入る!』と強く思いを定めて・・・
下界に向かって~、ジャンプ!!

次の瞬間、一番でお腹に入ることができ、
『やった~!!』と、最高の喜びに包まれました。

そしてそのまま、時間が高速で進んで行き、33才の自分の肉体に戻り、窓から差し込む強い日差しを浴びていました。普段の意識はハッキリしたまま、別の意識でこの一連の出来事が起こっていました。

そこはまぎれもなくいつもの部屋。

ゆっくりと部屋中を見渡しました。そして、恐る恐る手や足を動かし、心臓の動きも確認していました。

“体があり動く!私はまだ生かされている!”

という当たり前のことに感激して、全てのことに対する感謝の思いが湧きあがってきました。とてつもない大きな気づきを得るとともに、生まれる時の尊い命の感覚も味わい、言葉では表現しきれない貴重な体験をしたのでした。

そして、この体験のあとには驚くほど心の安定が・・・

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辿りついた、ヒプノセラピー

気持ちの面では、これまでに起きてきた出来事も全て私の成長の為に起こったことと素直に受け入れられ、先の心配をすることがなくなりました。

また、今までと変わらず必要なメッセージ等をいただけたりするものの、人の思いや感覚を感じても辛くなることはなくなりました。そして、全てを受け入れていくことで心の安定を図る事が出来るようにもなったのです。

更に体も健康になり、10年くらい薬を飲み続けていたアレルギーの花粉症も治っていました。そして以前にも増して、自分の体があることに感謝することが出来るようになりました。

肉体を持って命を与えられ、1人ひとりがそれぞれの特徴を持ち1人ひとりが違っていていいのだということ、生かされているだけで素晴らしいということ、また家族親戚や友人、出逢えた人達の支えにより生きてこれたのだということ、この当たり前のようにも思えることの全てに感謝の気持ちがあふれてきました。

それからというもの、心と体と魂の繋がりについての探求が始まりました。その思いがこれまでになく強く生じてきたのです。そして、書物を通して学んだり、似たような体験をした方などの話を聞く機会にも恵まれ、これまでは苦痛だった私の体験と照らし合わせていくことで、理解がより一層深まりました。

それから間もなく、あるセミナーに参加した時のことです。セミナーの中で15分程の潜在意識と繋がる簡単な体験をする機会がありました。その感覚が、先のあの体験をした時の感覚に似ていたのできっとこの感覚に何かヒントがあるに違いないと思いました。

そして、それまで何度も目にしていたはずの“潜在意識”について詳しく調べていくと、この意識と直接つながることの出来るとされる“ヒプノセラピー”に辿りついたのです。

その時、『私が多くの人に伝えていきたいのはこれだ!』と、探していた大切なものがやっと見つかった感じでした。

それからヒプノセラピーが学べるホームページを何度も見て吟味し、どこのスクールが私に合うのかと直感を働かせ、あちこち探していました。

遠くてもいいから、しっかりした内容のものを安心して学べるスクールで教わりたかったのです。そのような観点から慎重に選んだのがオープンセサミでした。

実際、女性のアシスタントがいらっしゃったことで女性ならではのアドバイスがいただけましたし、心の支えにもなっていただき、より一層安心して受講できました。
また、私が望んでいたこと以上に、理論的にも感覚的にもしっかりと分かるまで学ぶことができていました。

全てのコースを受講し終えた後にも、“やはりここで学べてよかった!”と心から思えました。

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そして、ヒプノセラピストへ

ヒプノセラピーを学んでいく中で、潜在意識の素晴らしさと、その有効性を自ら体感することとなります。

催眠状態になることで潜在意識とつながり、悩みの原因が思いもよらないところにあったりすることも分かってきます。これは、実に不思議で感動的なものでした。
この時、このセラピーを受けることで33才の時に私が体験したことと同様の気づきが得られるセラピーだと分かりました。

学ぶにつれて更に自分自身が癒され、大きな気づきと驚きと感動を受けたことで、ヒプノセラピストへの思いが大きくなっていきました。そして、自然とその方向へと歩み始めたのです。

それから、長年勤務していた会社を辞めることになります。そして、プロのヒプノセラピストになるために、オープンセサミで改めてそこから1年間かけ学び直しました。

この期間、私の身に起こった出来事を振り返りました。あの14才からの体験の意味が20年以上過ぎた今だからこそ分かります。

私が幼少期から体験してきた不思議にも思える、その他数々の出来事や、“生と死”についてよく考えさせられていたことは、“潜在意識”が私に見せたり聴かせたりした事であり、私にとって必要なことを私に気づかせてくれたという事だったのです。

偶然にも私は、何ものにも代えがたい貴重な体験をしてしまいましたが、ヒプノセラピーを受けることで、潜在意識からは生きていく上でのたくさんのヒントが与えられます。

そしてまた、必要であれば亡き人との魂とも会話の可能なセラピーです。

私は、あらためてヒプノセラピーで自分の内側を見つめていくことで、自らその答えを見出すことができました。 人は必要なことを潜在意識から引き出し、自分を見つめ直すことでその後の生き方に大きな変化が生まれてくるのだ、と自分の体験を通して感じました。

現在私は全てのコースの学びを経て、願いどおりオープンセサミでプロのセラピストとして活動しています。

自分自身のなすべきことを思いだし、14才の時に出会った僧侶の先生のお言葉が、ヒプノセラピストという形で実現しているのです。

私はこれまでの体験を元に、1人でも多くの方々にヒプノセラピーを通して、潜在意識の中の“輝きを放つ宝物”に、気づき感じていただけるようお手伝いさせていただきたいと思っています。

そして、全ての方が笑顔で前向きに歩んでいただけることをいつも願っています。